(1-1) オリジナル
(1-2) 茶色露西亜革
(1-3) コピー
(1-4) 再現
(2) 発掘調査について
(3) 原皮について
(3-1) イギリスの文献にはロシア革の原皮はトナカイとは書かれていない
(3-2) ロシアの文献にもロシア革の原皮はトナカイとは書かれていない
(3-3) 原皮はトナカイじゃないかも?という問題提起をしたロンドン大学の修士論文 (2012年) の抜粋
(3-4) 発掘調査団長の論文 (2010年)
(4) 雑録
(1) 革について
(1-1) オリジナル
180デシで、1デシ12.5ドル。
10インチ平方のサンプルを25ポンドで分けてくれてた、と。2006年当時のレートで、1デシ4ポンド(約850円)。
I also reached a similar conclusion that I would never have this leather. A very economical solution was provided by this craftsman:
http://www.1786russianleather.co.uk/index.html
IIRC for £25 he sent out a 10 inch square sample. So I have a slightly trapezoid 1786 Russian leather.....drinks coaster? mouse mat?
丸革16~20sqftで1200ドルだった、と。2002年当時のレートで、1デシ7.2ドル(約900円)。
A full hide yields between 16 and 20 square feet of leather and costs $1,200; a man's hip-pocket wallet is $125; a man's breast-pocket wallet is $180; a belt is $80; a box to hold cufflinks is $110; and an attache case is $1,200.
(1-2) 茶色露西亜革
展示資料は、明治33年(1900年)に西村が緑綬褒章を受章した際の文書と桜組製靴のカタログです。
(1-3) コピー
40ページからの Russia Leather Goods に Real Russia、American Russia、Imitation Russia が載っている。
American Russia
An imitation RUSSIA LEATHER produced from cowhide or the hide of the American buffalo (bison). It is usually a straight-grained leather. Also called "Russia cowhide."
カウハイドあるいはアメリカンバッファロー(バイソン)によるコピーで、通常水シボ付けされる。ロシアカウハイドとも呼ばれる。imitation Russia
A vegetable-tanned split cowhide finished with oil of birch to impart the odor characteristic of true RUSSIA LEATHER .
タンニン鞣しのカウハイドの床革を白樺油で仕上げたコピー。Bookbinding and the Conservation of Books: A Dictionary of Descriptive Terminology
Pfister & Vogel 社の革見本。ロシアカーフはタンニン鞣しで、左は靴用、右は格子模様付きの装丁用。
The Leather Specimen Book - Pfister & Vogel, Milwaukee, Wisconsin, 1917
MADE OF FINEST GRADE RUSSIA CALF と刻印された靴。
VTG Mens 40s Union Made Russian Calf Leather Pumpkin Captoe Shoes 8M Deadstock | eBay
RUSSIA CALF FINISH と刻印された財布。
オランダでもロシアカーフは鞣されていた。(Regal がイギリスの Manfield の靴を完コピするにあたって、Manfield がオランダ製のロシアカーフを使っていたので、Regal も同じ革を買いにオランダに行った、という広告)
フランスのシボ付け方:(1) 平行四辺形、(2) 正方形、(3) 菱形、(4) スムーズ。
5. Graining.
Russia leather is made up in several varieties: (1) Malia leather, grained in parallelograms; (2) shaved hide, grained in squares; (3) verhock leather with a lozenge-shaped grain; and (4) smooth leather. The graining is done in the same way as red cow hide. The leather is brushed with a coarse brush, dried, and put in the press.
(1-4) 再現
Kriuksというエストニアの注文靴屋によると、エストニアのタンナーが2年の研究の末に再現した、とのこと(下の写真はオリジナル)。カーフ1枚50デシ(約5.4 sqft)でとても小さく、1デシ4ユーロで高い。単なる型押し(Edelman、Horween)ではない模様。
Company TripleSkin has successfully recreated yufte with its ancient glory. Following the old formulas and using only natural components (lime, willow bark, rye paste, seal fat, birch tar etc) the skins of calves are handcrafted into that mysterious material.
TripleSkin社が昔、賞賛されたユーフティを再現することに成功した。当時の鞣し方にならい、石灰、柳の樹皮、ライ麦のペースト、アザラシの脂、白樺のタール等の天然素材のみを使い、カーフスキンからあの神秘的な革を作っている。
(2) 発掘調査について
A team of divers from the Plymouth Sound branch of the British Sub-Aqua Club, recorded and excavated the wreck over a period of 32 years. Some of the leather recovered from the wreck proved to be extremely well preserved and was sold, with the kind permission of its owner, HRH The Prince of Wales, to help finance the following archaeological research.
Leather treasures from 18th century wreck go on display | Plymouth City Council
革の売上は発掘費用の足しにした。
Recovering the hides has not been easy. Every year, divers manage to bring up only a couple of hundred from the Metta Catharina. They are treated by Snelson and either worked by him or sold on to other case-makers; some of the best hides are selected for shoes by G. J. Cleverley & Co. The bows of the wreck have been emptied and the divers have begun on the stern. No one knows how many remain but Snelson believes they have already had the lion’s share.
船首は空になったので、2003年から船尾を始めた。
Nobody knows how many hides are left buried in that wreck. Recovery has not been easy, and the job is incredibly dangerous. The bundles near the bows and stern have been cleared out, for the most part, but some believe there may be more in some of the unexplored areas. However, those areas are too dangerous to approach, and nobody has been willing to risk their lives for the additional hides. For now, it seems like the quantity above shore is all that there is.
船首船尾は調査済み。残る部分は超危険。
The supply is dwindling - Ian Skelton, the diver who found the wreck and the only person allowed to retrieve skins under Prince Charles’s decree, gave up diving four years ago - but it is estimated that 40 per cent of them remain safely preserved in anaerobic conditions under a layer of thick Portsmouth Sound mud.
Skin Deep | THE RAKE
(全訳:海底に200年間眠る幻のロシアン・レザー | THE RAKE JAPAN)40%残っていると推測。
Mr. Skelton said he no longer wishes to risk his life diving in dangerous and murky waters. Although the forward hold of the ship probably still carries some hides, he said in a telephone interview from his home in Cornwall that he’s finished diving. “I’m 66 now and have been doing this for 30 years,” he said. “During that time I’ve had some close calls.”
Lace Up a Bit of History | New York Times
もう潜らない。何度か死にかけた。
The wreck lay forgotten for nearly 200 years before the chance discovery of a bronze bell on the seabed in the Barnpool by members of Plymouth Sound BSAC in October 1973.
Under the leadership of Ian Skelton, the Nautical Archaeology Section of Plymouth Sound BSAC excavated the wreck between October 1973 and the end of the project in 2006.
The team discovered three quarters of the ship preserved in the muddy seabed, including hundreds of rolls of preserved reindeer hides in the holds. These hides are so well preserved in fact that shoes, cases, bags and belts have all been made from recovered leather, many by Robin Snelson, a leather craftsman of Penryn. Proceeds from the sale of the hides provided funds for the further investigation of the wreck and the recovery of artefacts.
Having worked on the site for 33 years the team leader wished to retire, and as no successor was found the project was stopped.
Frau Metta Catharina Von Flensburg | Promare
船の4分の3を調査し、何百束の革を発掘した。リーダーが年齢により引退し、後継者がいなかったため、2006年をもって考古学調査が終了した。
あの匂いは後付けだよん、というジョンロブから独立した職人からのつっこみ。
ロビン氏は、その革を真水に数日間浸し、塩と黒い泥を取り除くと、フレームの上で乾燥させた。続いて、かつてロシアの皮なめし職人が使ったものと同じ材料をいくつか用意し、革を処理した。この処理によって、革から失われていた“あるもの”が蘇った。そう、あの独特の香りである。状態を安定させたおかげで、この革は使用できるようになったが、その量は使いきれないほど多かった。ロビン氏は同業者にこの革を販売し始めた。
(3) 原皮について
(3-1) イギリスの文献にはロシア革の原皮はトナカイとは書かれていない
5.ロシア革
ロシア革(Russia leather, Juchtenleder)の特徴は快い芳香があり、耐湿性に優れていることである(9)。主に製本用品や美術用品に供された。この芳香は加脂剤として用いるカバノキ科シラカバ(Betula alba)の樹皮油によるものであり、虫除けになる。また湿気に強いことが黴等の発生を防ぐことになる(1)。この革はロシア語の“yufte(1組)”すなわち2枚の皮を1組に縫ってから鞣すことに由来している。
18世紀のロシア各地において、ロシア革が生産され、その製造法は産地によって異なっていた。原料は成牛および子牛の皮である。時には馬や山羊、羊の皮も用いられる。鞣剤として多くの地方では樺の樹皮が用いられたが、枝垂れ柳やオークの樹皮も用いられた。アストラハン(カスピ海沿岸の都市)やムロム、アルザマス(共にモスクワ東方)のロシア革が優れていた。他にコストロマ(モスクワの北東)とカザン(タタール共和国の首都)の革が有名であった。最良の品質は“Mastreky”、最悪のものを“Polumelli”と呼んだ。ボログダやモスクワでも優れた革が製造された。南ロシア(アストラハン、カザン)ではロシア革と並んでオークの瘤で鞣した赤と黄色のモロッコ革も製造されていた。
皮を灰汁に浸漬して脱毛する。濯いでから皮の状態によって一定時間搗き晒す。温水で洗浄し、適当な浸漬液で発酵させる。1週間後に取り出して馬掛けあるいは蒲鉾台で両面を洗浄する。別な方法として、水漬け後、石灰乳に浸漬して脱毛する。厚い皮は石灰漬けをしないで発汗室に積重ねる。その際、腐敗を防ぐために塩を撒く。薄い繊細な皮には脳漿浴を用いる。石灰漬け後よく洗浄し、足で踏み、さらに石灰が完全に除去されるまで温湯で濯ぐ。脱毛した皮はライ麦や燕麦の粉と酵母の混合液に48時間浸漬する(1)。混合液槽から桶に移して15日間静置してから川で洗浄する。この作業は省略される場合もあるが、植物タンニンの皮への浸透を均一にするためである。
裸皮をぬるま湯の柳樹皮エキスに浸漬し、取り出して板の上で重石を載せて圧を掛けて水分を除去する作業を1日2回1週間繰り返す。さらに液を新しくし、一層濃厚な浴でもう1週間繰り返す。鞣剤として、柳の代わりに白樺やオークの樹皮が使用されることもある。鞣された革は台の上に銀面を上にして載せ、明礬溶液を塗った後に染料を塗布する。ロシア革は通常赤色に染色されたが、時には黒色に染色された。赤色にはサンダルウッド(白壇)、ブラジルウッド(蘇芳)、コチニールあるいはこれらの混合物が用いられ、黒色には鉄の酢酸塩が用いられた。
台に肉面を上にして広げ、通常の皮1枚に対して約9ozsの樺樹皮油を塗る。この油はアザラシ(カスピ海産)の油と白樺樹皮の精製油あるいはタールの混合油であり、その割合は普通1:2である。樺樹皮油は木質部から剥された白い膜状の表皮を乾留して得られる。樹皮重量の約60%が粗製油として得られ、さらに分留して精製油にする。この油は他の木材タールとは色、匂いおよび成分が非常に異なり、独特の芳香は成分のベツリン(白樺樟脳)による。文献
(1) Watt, A. : "Leather Manufacture", Crosby Lockwood and Son, London (1919).
(9) 竹之内一昭 : 外国の古い革 4. ロシア革, 皮革科学, 45, 178 (1999).
Yufts, or Youfts Russia Leather. — Wagner describes the method of preparing this leather, the name of which is derived from the Russian word yufte, signifying a pair, because, as it is supposed, the hides are sewn together in pairs previous to the process of tanning. The hides usually prepared for leather in Russia are those of young cattle ; sometimes, however, the hides of horses and skins of sheep, goats, and calves are employed.Watt, A. : "Leather Manufacture", Crosby Lockwood and Son, London (1906)
ロシアではロシア革の原皮には通常若い蓄牛が用いられるが、時には、馬、羊、山羊、子牛も用いられる。
(3-2) ロシアの文献にもロシア革の原皮はトナカイとは書かれていない
The Industries of Russia (1893) は、1893年のシカゴ万博のためにロシア帝国財務省が英訳版を出版したもの。第6章の皮革商品は、サンクトペテルブルク工科大学教授が分担執筆。
The Industries of Russia (1893)
I. Tanned leather.
Heavy Sole Leather Manufactured From American.
Circassian Bull And Buffalo Hides.略
Half-Tanned Sole Leather.
略
Soft leather.
ソフトレザーは柔らかく、比較的軽くなければならないので、一般的に子牛、若い雌牛、不妊の雌牛、未経産牛から作られる。1. Russia leather.
ロシア革は若い雌牛、不妊の雌牛、未経産牛の皮から作られる(子牛は除く)。原皮を掃除し、灰に漬け、洗い、分割し、濃度の薄いタンニン液で鞣した後、濃いタンニン液で鞣しが行われ、白、赤、黒のロシア革になる。
最上質の原皮は白ロシア革に使われている。タンニン鞣し後に白ロシア革の肉面側には白樺のタールとアザラシのグリースが塗られる。赤ロシア革は白ロシア革と同じ方法で作られるが、乾燥後にミョウバン溶液が塗られ、レッドサンダルウッド(紫檀)で着色される。黒ロシア革は鉄塩(鉄媒染剤)で黒く染められ、肉面側に白樺のタールと子牛のグリースが塗られる。オイルド加工する場合は、油脂を繰り返し塗る。
要望に応じて様々な最終仕上げが行われる。この仕上げはしばしば数度繰り返される。乾燥後、揉み解され、大小の粒起模様(シャグラン)、縞模様や格子模様のシボ付けがなされる。スムーズあるいは光沢仕上げが望まれれば、ガラスや石でグレージング加工が行われる。最後にアザラシのグリースか獣脂が少し塗られる。黒ロシア革のオイルド加工には白樺のタールとアザラシのグリースが塗られる。
スムーズあるいは細かいシボ付けされた白ロシア革は、主に軍靴、弾薬嚢、スーツケース、バッグに使われている。シボ付けされた赤ロシア革はアジアで売られ、西欧にも大量に輸出され、西欧ではロシア革と呼ばれて珍重され、財布や煙草ケースなど様々な小物に使われいる。ウィーン製のロシア革の小物は特に有名である。スムーズあるいはシボ付けされた黒ロシア革は、馬具、スーツケース、馬車、靴に使われている。2. Dressed calf leather and calfskins.
カーフスキンは軽い靴などを作るのに使われている。原皮は若い子牛で、製造方法はロシア革と同じである。ロシア革との違いは原皮の大きさで、カーフスキンはミルクを飲む若い子牛の皮から作られるので、肉面側の色で簡単に見分けがつく。ミルクフェッド・カーフスキンは柔らかく、しなやかで、丈夫で、通常の子牛革より貴重である。その多くは輸出されている。3. Horse hides.
大きい馬皮の臀部は繊維が詰まっており、硬く、靴底に使われている。小さい馬皮は白と黒のロシア革を作るのに使われ、馬皮のロシア革はハンブルク革と呼ばれている。ミルクを飲む若い馬は子牛の代わりに使われている。ハンブルク革の製造方法はロシア革とカーフスキンと同じであるが、ロシア革とカーフスキンほど珍重されていない。
山羊皮、羊皮、子山羊皮から様々な革が作られており、以下が主な種類になる。4. Morocco.
モロッコ革は山羊皮や羊皮から作られる。山羊のモロッコ革はかつては中国(清)に大量に輸出していたが、今では中国からの需要は大きく落ち、ロシア国内で主に靴に使われている。・・・5. Ordinary morocco.
普通のモロッコ革は通常羊皮と子山羊皮、特にメリノー種の羊皮から作られる。・・・羊のモロッコ革は山羊のモロッコ革より丈夫ではないので、靴には向かない。6. Lambskins, common or merino.
子山羊皮は・・・手袋、女性用の安い靴と下着に使われている。7. Sheepskins dressed in the wool.
ムートンはコート、ジャケット、襟などに使われている。・・・ムートンは最も珍重されており、最上質はロマノフ種から作られる。II. Tawed leather.
ミョウバン鞣しの方法にはジャーマン、ハンガリアン、カルムイクの3種類あり、羊皮、子山羊皮、山羊皮、子牛皮が使われている。タンニン鞣し革より裂け難いので、ベルトや馬具に使われている。防水加工されていないので、グリースを十分塗る必要がある。・・・
III. Shamois leather.
シャモア革は鹿(deer)、ヘラジカ(elk)、(ウサギや鹿などの)雄(buck)、ラクダ、山羊、羊、子牛の皮から作られ、最初の3つが最上質とされている。浸潤と脱毛の通常の処理後、油を浸透させ、何度も丸めて、油を酸化させるために外気にさらし、余分な油を取り除き、最後に乾燥して伸ばす。・・・
(3-3) 原皮はトナカイじゃないかも?という問題提起をしたロンドン大学の修士論文 (2012年) の抜粋
Russian Yufte as ‘Russia Leather’ in Eighteenth- and Nineteenth-Century Western Bookbinding
ウラジミール・ダール著の広域ロシア言語の解説辞書(1863年)では、‘Юфть’(ユーフティ)の関連語‘Юфтевый’の項に、「私はユーフティの匂いが好きだ」「ユーフティで装丁された聖書」といった語例が書かれている。同書の「ユーフティ」の項には、「成長した雄牛または雌牛の皮を白樺油を使ってロシアの方法で鞣した革」と書かれている。白樺油特有の匂いがし、装丁に使われた、ということが同書から分かる。
イギリスでは、「ロシア革」「ロシアカーフ」あるいは単純に「ロシア」と呼ばれ、18世紀後半から19世紀前半の西欧で装丁に大変人気があったが、ロシアの文献でこの革を満足に調べていない。西欧の学術、歴史文献では、この革は柔らかく、しなやかで、良い匂いがし、耐湿耐水防虫性があり、格子模様がある、と特徴付けられている。このような特徴に留意して、ロシアの文献で国内生産と国際取引を調べたところ、成長した雌牛と雄牛の皮、もしかすると馬皮からも作られ、白樺油とアザラシ油が塗られ、格子模様の型押しをされた、ユーフティという名のロシア製皮革が、18~19世紀に西欧で使われた「russia calf」あるいは「cuir de russie」の最有力候補であろうという結論に達した。本論文で、ロシアカーフの解明されていない由来への回答ができ、ロシアカーフが最も人気があった当時の製法と西欧への輸出に関するロシアの文献をロシア語ができない人に紹介したいと思う。
西欧で「ロシア革」として知られ、「西欧人に珍重されて財布や煙草ケースなど様々な小物に使われている」とロシアのブロックハウス・エフロン百科事典(1890、1904年)に書かれている革と、西欧の装丁に使われている「ロシア革」は同じ物だろうか? この疑問は、主に次の3つ文献から生じている。
1) イギリス、ロシア、フランスの百科事典や革鞣しの本・・・
2) 装丁に関するイギリスとロシアの文献・・・
3) 17世紀から19世紀のロシア製皮革の貿易統計・・・<注:使用例について>
・・・Bagfordが1716年に亡くなる前に書いた覚書がロシアカーフに関する最古のイギリスの文献の一つなのだが、同書の15世紀のヘンリー7世の時代の装丁用素材リストには「ロシア」が載っており、「ロシアカーフ」は法律書の装丁に使われ、油のせいで本棚で本がくっつき易い、と書かれている。さらに古いThomas Browne卿の本(1658年)には、「水玉のような粒起模様が見られるロシア革もある」と書かれている。Graham Pollardの本(1956年)には、Browne卿の言うロシア革は装丁とは限らなく馬車の内装であろう、と書かれている。というのも、ロシア革が西欧の装丁に日常的に使われ普及したのは1780~1830年頃だったからだ。・・・
ロシアカーフが西欧の装丁でもっともよく使われた時代は、小物、家具、調度品にもロシアカーフが使われていた。Charles Vallenceyの本(1774年)には、馬具、馬車の内装、弾薬嚢、優美な作品にロシアカーフが使われていた、と書かれている。18世紀中頃のバーリントン卿のチズウィック・ハウスにあったマホガニーの机や、1895年頃の米連邦最高裁判所の椅子にもロシアカーフは使われていた。Richard Rawlinsonは1755年に自分の棺をロシアカーフで覆うことを強く望んでいた。American Naturalistの1867年号では、ロシア革の特有の匂いが服を虫から守るので、「夏の間、ロシア革を削ったものを仕舞っている服の間に」置くことを読者にアドバイスしていた。
ロシアの文献でユーフティの特徴について書かれていることは、西欧の文献に書かれていることと大変似ているが、使用例については、西欧では小物、装丁、家具であるのに対して、ロシア国内では軍用品、鞄、靴という違いがある。製法に関してはロシアの文献のほうが詳しく、例えば、ブロックハウス・エフロン百科事典のユーフティの項には、黒白赤の3色があり、大小の粒起模様(シャグラン)、縞模様、格子模様、スムーズグレインなどの表面加工についても書かれている。また、レッドユーフティは「ロシア革」という名で西欧に最もよく輸出されて様々な小物に使われている一方、ホワイトユーフティは主にロシア国内でスーツケース、弾薬嚢、軍靴に使われ、ブラックユーフティもロシア国内でスーツケース、馬車、馬具、農民の靴に使われている、とも書かれている。ユーフティが靴に使われたことは、1859年にAleksei Semenovが行った製造業に関する法律と統計の調査で裏付けられており、靴用ユーフティの製造にはアザラシ油の使用が18世紀の法令で決まっていた。
A. Mikhailov(1953年)は、切断時に40%も伸びるというユーフティ特有の柔軟性と伸縮性、耐水性、また、ロシアでのブーツの甲革への使用に関して書いている。・・・第1回ロシア製造業一般公開目録(1829年)には、ユーフティは家具だけでなく、18世紀のイタリアの上流家庭の壁にも使われており、防虫効果の無いシルクのダマスク織りの代わりにユーフティが壁に張られていた、と書かれている。・・・
・・・
<注:原皮について>
ロシアカーフやユーフティの原皮に関して、イギリス、フランス、ロシアの文献に書かれてあることが違う。
フランスのラルース百科事典(1866年)にはカーフ、カウハイドと書かれている。
ロシアのブロックハウス・エフロン百科事典(1904年)には雌牛、不妊の雌牛、雄牛(子牛を除く)と書かれており、また、ダール著の広域ロシア言語の解説辞書(1863年)には十分育った雄牛と雌牛の皮と書かれている。V. I. Anisimovの本(1921年)には、雌牛、子牛、馬の皮から作られると書かれているが、ブロックハウス・エフロン百科事典(1895年)には、16世紀頃、馬革も人気のロシアの輸出品だったと書いているものの、ユーフティと馬革は別物と区別している。
1946年のイギリスの文献にはカーフとカウハイドから作られると書かれており、Charles Vallencey(1774年)も主にカウハイドから作られると書いている。ただし、Vallenceyはオリジナルのロシア革ではなく、フランスのコピー製品のことを書いているのかもしれない。
複数ソースで重複しているので、カウハイドが原皮であるかもしれないが、Garbett & Skeltonの発掘調査団の本(1987年)によると、英国皮革製造研究協会が1970年代に沈没船に積んであったオリジナルのロシア革を調べたところ、原皮はトナカイの皮であると断定した。ロシア革の原皮がトナカイであるという英国皮革製造研究協会の主張については、本論文の結論で詳しく論じる。フランスのコピー製品については、Charles Vallenceyの本(1774年)で詳しく書かれている。John Tyzackがロシア革のコピーに関する特許を取った1691年頃には、本物のロシア革とコピーの違いが議論されていた。
ラルース百科事典にも、モロッコ革の仕上げに白樺油を浸透させる方法と、油を塗り過ぎると染みが残るという注意点が書かれている。また、本物のロシア革はロシアでのみ作られており、ロシア革をコピーする数多の試みは失敗した、とも書かれている。・・・・・・
一方、ロシアはユーフティが真似できないことを自負しており、第1回ロシア製造業一般公開目録(1829年)では、外国でコピーの試みが失敗したことにふれ、白樺油に必要なロシアの広大な白樺の森を自画自賛していた。同書とブロックハウス・エフロン百科事典で、ロシアの皮革産業が西欧に比べて全般的に遅れていることにふれているが、唯一の大きな例外がユーフティの生産で、「ロシアの皮革産業の名声を依然支えている」と書いている。18~19世紀のロシアは、全般的に工業に関して技術的進歩が後れていたようだったが、国際市場でのユーフティの独自性と人気のおかげで、ユーフティはロシアの誇りになっていた。
・・・
<注:メッタ・カタリーナ号の革について>
ユーフティの貿易統計、特徴、使用例、製造方法に関してロシアの文献に書かれていることは、「ロシアカーフ」「ロシア革」に関してイギリスの文献に書かれていることとよく一致しているように思えるが、1973年にプリマス湾で発見されたメッタ・カタリーナ号の革が、本論文を大変複雑にしている。船から発掘された革はロシア革の特徴と大変似ており、銀面の見た目から「十中八九」トナカイ革であろうとされた。・・・
しかし、ロシアの文献ではトナカイ皮のユーフティはどこにも見当たらない。北極圏からのトナカイ皮とシベリアからのヘラジカ皮で、ロシア軍人の下着が作られ、また、輸出もされたというのは正しいようだが、トナカイ革やヘラジカ革をユーフティやロシア革と同一視するロシアの文献はない。
例えば、ブロックハウス・エフロン百科事典では、トナカイ革とヘラジカ革の説明はレッドユーフティの生産と輸出の説明と関連していない。同様に、第1回ロシア製造業一般公開目録(1829年)の皮革リストでは、鹿スエードとユーフティは別物扱いされている。
トナカイ革は、1749年から1802年に大変増えた輸出品目「その他の皮革」に含まれていたのかもしれないが、トナカイ革がロシア革と同じ特徴だったという証拠がない。ロシア革がとても人気があった頃、大量のユーフティが絶えず西欧に輸出された記録が残っている。人口と産業が密集した都会に大量の蓄牛がいた時代に、記録に見合う大量のトナカイが極北極東地域で狩られ、都会に輸送されていたとは考えにくいので、ロシアカーフはトナカイ革ではないと思う。・・・ただ、イギリスとロシアの文献に書かれていることは、18世紀の貿易の実態と完全に一致しないのかもしれない。メッタ・カタリーナ号で発見された革の束は、大きさと色がバラバラで、濃茶、薄茶、赤茶があった。濃茶や赤茶はユーフティの色と思われるが、薄茶は伝統的なユーフティの色ではない。(注:薄茶は未染色のホワイトユーフティだったのかも?)
また、メッタ・カタリーナ号の革がトナカイであるなら、なぜトナカイ革にユーフティの伝統的格子模様を付けたのだろうか? 格子模様が1780年代の流行だったために、ユーフティ以外の革にも格子模様を付けたのだろうか? ブロックハウス・エフロン百科事典には、ユーフティには様々な模様があると書かれている。Thomas Browne卿の本(1658年)には、21世紀のロシア軍の弾薬嚢に見られる水玉のような粒起模様のロシア革のことが書かれている。ロシア革の模様は流行に応じて変わったのかもしれない。・・・
ユーフティには様々な模様があり、ユーフティではない革に格子模様があったのならば、メッタ・カタリーナ号の革の同定は大変複雑になる。Thomas Browne卿の粒起模様は初期の流行で、格子模様は18世紀の流行だったのだろうか。メッタ・カタリーナ号の革は、本当に格子模様のあるトナカイの革なのだろうか。成長した雌牛か雄牛の革を伝統的ではないが流行の薄色で染めた革なのだろうか。誤ってトナカイ革と同定されたのだろうか。・・・西欧でロシア革という名で知られた革は、耐水性、防虫性、柔軟性、流行に応じた表面加工の特徴を持ったユーフティと見なす解釈が、「ロシア革」の歴史と辻褄が合っているように思うが、英国皮革製造研究協会が同定したのだから、メッタ・カタリーナ号の積荷は多分トナカイ革だったのだろう。ロシアの貿易統計と沈没船で見つかったトナカイ革は、西欧に輸出されたロシア製皮革がユーフティのみではなかったことを示しているが、本論文がオリジナルの「ロシアカーフ」の由来を解く鍵になればと思う。
ロシアの文献を元にした本論文は、ロシアカーフの由来を回答するより、むしろ複雑にしたかもしれない。西欧の装丁で使われた当時のロシア革の貿易は想像以上に複雑だった。結局、17世紀から19世紀の「ロシア革」という名称は、一種類の革を指していたのではなく、ロシア製皮革全般を指していたのかもしれない。ユーフティとロシア革の関係を完全に解明し、沈没船の革を説明するためには、皮革生産科学、歴史資料、皮革サンプルによる、もっと膨大な研究をしなければならない。
付録 I – ロシアの文献の一部を英訳
ブロックハウス・エフロン百科事典 (1904) Vol. XLI, pp. 460‐1の‘Yufte’の項(原文)
<注:"The Industries of Russia"の"1. Russia leather."と同じ内容なので省略。>
ブロックハウス・エフロン百科事典 (1895) Vol. XVA, pp. 573‐4の‘Leather production’の項(原文)
…レッドユーフティはカザン(モスクワ東部)、ノヴゴロド(モスクワ北西部)、プスコフ(モスクワ北西部)、モスクワ、コストロマ(モスクワ北東部)、ヤロスラヴリ(モスクワ北東部)で作られた。カザンと東部製が最高級とされ、ノヴゴロド製が次点で、プスコフ製は最低級とされた。
アレクセイ・ミハイロヴィチが君主のとき(1645~1676年)、レッドユーフティは法令で財務省専売とされた6品の内の1つだった。レッドユーフティはkipaの単位で売られた。1 kipaはユーフティ45枚で、1~1.5 puds(16~24 kg)に相当した。
トナカイの皮は衣料用にサモエード人から買い、ヘラジカの皮は北部地方とシベリアから届いた。ヘラジカの皮は兵士の下着と輸出品にされた。
海外からのロシア製皮革への需要は16~17世紀に大変多かったため、自国生産では需要に応えることができなく、そこで、リヴォニア(今日のラトビアの東北部からエストニア南部)と小ロシア(今日のウクライナ)から大量の革を輸入した。特にユーフティの需要が多く、また、16世紀には馬革の需要も多かった。馬革に関しては、イヴァン4世が君主のときは(1533~1547年)、毎年最大10万枚まで輸出されたが、16世紀の終わりには3万枚に減った。17世紀中頃、ロシア製皮革の輸出量は年々増えた。1674年頃、年間最大75,000 kipas(約340万枚)のユーフティが輸出された。通常、皮革商品は冬にトチマとヴォログダに輸送され、春にそこからアルハンゲリスクの港に輸送された。
皮革の製造を完璧にし発展させるために、ピョートル1世(1682~1725年)は1715年から製造と販売に関する一連の法令を出した。1716年、ピョートル1世は民間企業に100,000 puds(約300~450万枚)の生産命令を出し、財務省に販売させるつもりだった。エカチェリーナ2世(1762~1796年)の統治が始まったときには、皮革工場は25あり、その内10でスエードが作られ、統治が終わったときには、皮革工場は84に増えた。1825年までの海外の皮革商品のロシアへの輸入額は約9万ルーブルで大変小さかったが、ロシア製皮革の輸出額は大変大きかった。(表略)
この表から、19世紀になると主力輸出品であるユーフティの輸出量が落ち始めたことが分かる。一方で、国内消費用皮革の生産量に関しては、軍需によって増えた。…
…ロシア製皮革全ての中で、ユーフティ(と原皮)だけはロシア皮革産業の評判を依然として支えている。ロシアのユーフティが優れているのは、原皮が高品質だからというよりは、特有の匂いのする白樺油とアザラシ油で加脂されているからである。主にレッドユーフティが輸出されている。最小重量をクリアするように、大きい革は6枚を1束に、小さい革は10枚を1束にして梱包される。重量売りの他に、面積売りもされる。ロシアでは50~68万枚のユーフティが生産され、その内20~30万枚はVyatsk、カザン(モスクワ東部)、ペルミ(モスクワ東部)、トヴェリ(モスクワ北西部)で生産されている。中国と中央アジアに送られた革は、buntと呼ばれる10枚の面積で販売されている。
(3-4) 発掘調査団長の論文 (2010年)
英国皮革製造研究協会がトナカイ革と同定した根拠はなんでしょうね。専門家の同定だから間違いないんでしょうが、トナカイ革じゃないかも?という修士論文にも説得力を感じました。
Samples of leather were sent to the British Leather Manufacturer’s Research Association (now dissolved) and to the Museum of Leathercraft. By consensus the leather was identified as being most likely reindeer (Rangifer tarandus) (pers. comm. J. W. Waterer, 1974, and British Leather Manufacturer’s Research Association, 1980).
メッタ・カタリーナ号の革サンプルを英国皮革製造研究協会(現在解散)とレザークラフト博物館に送ったところ、総意により、十中八九トナカイであると同定された。(Waterer氏との私信 1974年、英国皮革製造研究協会 1980年)
(4) 雑録
シカゴ万博のロシアブースと出展したロシア革のタンナー。A history of the World's Columbian exposition held in Chicago in 1893 v.3
World's Columbian exposition 1893, Chicago. Catalogue of the Russian section (1893)
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